人間とは誤謬

虫達の寝床を整える為、活字を静脈注射します

ラリぬけてなくてしんどいからチラ裏

苦しくてたまらなくて我慢しててそれを見てる自分も我慢しててそれを知ってる自分もまた我慢しててみんな我慢してたの私がちゃんと全部知ってるから大事に抱えてしまってるんだろうか忘れたいし逃げたいとも思うけど離してくれないし私の記憶とか過去とかそういうものは全部燃やして貰って構わないと私はそう思ってるんだけど、離してくれない人がいるし忘れさせてくれないから眠るのも苦しい新しい記憶が入る隙間も無いんです忘れたくてもこびりついてて死にたい死ぬしか逃げ道が無いんだと思い込ませてる自分もいるわからない殴られたり蹴られたりなんの為にここまで我慢してきたの?って大人になった自分に聞いてる自分も我慢してた自分はまだ死ねてなくてごめんねって毎日それだけで必死になってたから取り繕えなくなってきてもそれだけは最後までとってたのに本当にごめんねって思うし記憶も過去も切り離せないけど頑張ってたのとか我慢してたのとか堪えてたのとか全部ちゃんと未来の私がちゃんと死んでくれるように祈りながらだったのちゃんと知ってるから待っててね本当にごめんなさい

短編集はお手軽で物足りない

そういえばここは簡易読書感想文の置き場にする為に開設したんだった。すっかり忘れてた。最近、沼田まほかる道尾秀介を目に止まった順に読んでいってるんだけど、作家情報をどっから仕入れたのか、誰かに教えて貰ったんだったか、すっかり忘れてしまったので、私に道尾秀介を教えてくれた人をもし思い出せたら、お礼にビールくらいは奢りたい気分だ。というのも、道尾秀介の本は今のところ6、7冊くらいしか読んでなくて、中には好みでない筈のものもあったりして、それでも何故か読んだことを後悔することは無くて、好みじゃない筈の話もちゃんと秀逸ではあって、なんというか華麗に騙してくれてありがとうございますって気持ちと、騙される快感とは別で重苦しさが癖になる感じ。つまりめっちゃ好みだ。例えば泣けるって要素が売りだったり、大どんでん返しが売りだったり、ラスト一行で衝撃が、みたいな謳い文句は確かに目を引くんだと思うし、分かるんだけど、そこまでの過程が疎かになっていなくてむしろその過程の部分に重きを置いているところ、大どんでん返しがメインでないところが好みだ。少し前にツイートしたけど例えば乙一作品、どれを読んでも泣けるって書いてたけど、どれを読んでも特に泣けなかったし、だからといって読む価値が無かったかと問われればそれは絶対に違うと言い切れる。泣ける作品が必ずしも心に残る名作というわけではなくて、泣ける乙一作品<泣かなかった乙一作品、という図式も成り立つんだと思うし、判断基準はそこじゃなくないか? ってなった。私の好みで言えば、無理矢理泣かせにかかってくる系の映画より、なんとなく不穏でなんとなく心に重く暗い影を落として去っていく映画のが好きな傾向にあって、何でもいいから泣きてえ〜って感じだったらはじめの一歩の間柴VS木村を読めば済むことだし、別にわざわざ2時間ジッとして映画眺める必要無いなあって思う。そもそも私が映画を好んで見る人間じゃないってのが前提にあるから、これは例えが間違ってた、ごめんなさい。どんでん返しが売りの作品も一緒で、カラスの親指とか読後感かなりスッキリ目で、綺麗に騙されたけどそれだけじゃなくて読者の私もタケさんも騙されたことにちゃんと意味があったから「好みではないのに満足出来た」んだと思う。後味悪い話が好きな筈なのに読後スッキリ目のカラスの親指、何故か満足出来たってのがまず嬉しい。いい意味で裏切られて騙されて、著者に裏切られなくて良かった、次も道尾秀介を読もうと思った。ラットマンもそうだった。私の中の道尾秀介の1冊目がラットマンで、ちょっと出来過ぎ感があったのは確かで、でもウンウン唸りながら読めた。読み終わってすぐに他も読んでみたくなった。短編集も読んだ。鬼の跫音。ひたすら無常観。虫とか鴉とかそういうものが不気味さを格段にあげててそれも良かった。気持ち悪い話本当に大好きだ〜って再確認した。形式上、人間という体で書かれているだけの、人間だったものの成れの果て。後味の悪さというか、短編なのに重苦しさの余韻がちゃんとしてるってとこがまずドンピシャで、GOTHの生き埋めの話の「埋めてみたかったから埋めました」みたいな台詞で血液がスッとなったときの感覚の連続で、良かった。特に「犭」が、唸るほど素敵。本当に救われなくてラストからどうなったかとかそんな色々を考えて放心した。ZOOを買った時もそうだったんだけど、長編を読める気力集中力体力がここ最近ホントに無くて、沼田まほかる乙一道尾秀介それぞれ短編集を1冊ずつ買ってそれぞれ読んでたら思った。物足りない。わざわざ短編集を選んで買っておいてそれを言うのもおかしな話なんだけど、不思議と掻き立てられる読書欲。なんだこれってなった。胃の調子が悪くて焼きおにぎり1個食べたら食欲わいてきちゃって、よくよく考えると最初の胃のムカつきは餌切れだった、みたいな。ZOOは装丁も良くて(GOTHも装丁がとても素敵だったから買ったみたいなとこある)ZOO1と2を両方買って、その数日後に鬼の跫音と漫画5冊くらい買って、沼田まほかるの痺れ(短編集のほう)とユリゴコロを一緒に買ったんだった。そう、思い出したけどスティーブンキングも一緒に買ってたんだった。まだ読めてない。ZOOを読んでから一旦安定を求めて伊坂幸太郎を再読して、また乙一に戻ってラノベでありミステリでもあるのか、、、ってなってGOTHをまた2冊まとめて買ったんだった。元々だいぶ偏った読書傾向でありながら特に幅広く読んだ上でそうなったわけでもないので何とも言えないんだけど、一人称の女性視点だと読み進めるのが遅くなるんだと気付いた。乙一の落ちる飛行機の中での会話劇というか悲喜劇か、あれは。三人称だったか一人称だったか記憶が曖昧だけど、たぶん女性視点で、あとまほかるさんのヤモリ、アレも女性視点だけど断然読みやすかった。気持ち悪くて良かった。林檎曼荼羅は女性視点特有のなんていうんだろう難しいけど読んでてかったるくなる感じも少しありつつ、たぶん短編だから苦痛とまではいかなかった。そして林檎曼荼羅自体は嫌いじゃない、むしろ好きだ。女性視点だと読みにくいというか、口調が好みじゃないのかもしれない。言い回し、語尾、とか色々。まほかるさんの短編は割とコミカルでありながら不気味さも混在していてくれたから楽しめたんだと思う。それにしても桐野夏生のグロテスクは本当にかなり無理だった。頑張って下巻の真ん中あたりか、裁判の後くらいまで読んだのは覚えてる。主人公がとにかく嫌いでかなり無理して読んだ思い出。本当ならジャンル関係無しに片っ端からアレコレ読んでみて判断すべきなんだろうけど、うざったい女のうざったい心情が無駄に入ってきてたり言葉の節々に現れてたりする(という印象)のがかったるくなる。とにかく何故か読めない。読みにくいというか好まない。あと過剰な性描写、過剰な痴情の縺れの押し売り、男女のすれ違いで発生した悲壮感の過剰演出、己の恋愛観について長ったらしく語りたがる主人公(もしくは語り部)、これがあまり受け付けない。ここが駄目だと一気に読めるものが減るんだろうと思う。一応、読めるけど好んでは読まないってだけ。それにしても、不便だ。何しろあらすじから読み取れる情報にここらへんの要素はほとんど含まれておらず、普通にのほほんと読んでて突拍子も無くそれが始まってしまうことも多々ある。初見の作家は特に。同人誌みたいに〇〇✕△△、全年齢、□□要素あり!みたいな注意書き、正直欲しい。もちろん面白さが半減してしまうからやらないんだろうと思うけど。この作家の本には大体こんなシーンが沢山出てくるなあ、こんな雰囲気だなあ、こんな文体で、この人の作風はこんななんだなあって読む前から分かっていれば、「ワタヤノボル(猫)がパスタを茹で終えると直子と加納マルタとが死に絶え、カフカ少年が図書館を出たあたりで主人公がやれやれと言って射精して」しまっても、全然驚かないで居られる(ちなみに私はトラックの運転手の星野さんと多崎つくるの友人の灰田くんが好きです)。今頃また思い出したけど道尾秀介は、カラスの親指より前に、獏の檻より後に、球体の蛇を読んだのを思い出した。球体の蛇は、あらすじを読んだときの印象より、悪く言えば薄く引き伸ばしたような話、良く言えば他の作品より健全だった。これだとどちらも褒め言葉にならないかもしれないけど、健全だった。読後も重苦しさは無く、スッキリ爽快でも無く。特に誰かに対して心臓を引っ張られることもなく、へぇ〜ほぉ〜という感じ。あらすじの感じからかなり重たく気持ち悪いものを想像してしまった私が悪い。再読は無いかもしれない。その前に読んだ獏の檻、かなり時間をかけて読んだけど読むのが苦痛だったわけではなくて、ただ読み終えるのが嫌だっただけのような気がする。時間をかけたのが良かったのか、あの独特な閉鎖感のある田舎のカビのような泥のような臭いとか、呪文のような不気味な方言とか、重なり合ったお経とか、中に入ったみたいに聞こえてきそうな感じでトリップ出来たのが心地よかった。ストーリー的にどうこうとかどんでん返しがどうとか、犯人が意外すぎてびっくりとか、アヤネくんの正体が実はそうだったのかとかそういうのは割と分かりやすく書かれててそこまで驚きも無かったんだけど。誰かが常に不穏な何かを纏っていたり何かを抱えている主人公の夢の描写、その主人公が抱えている何かの正体、主人公の母親の隠し事、そういう不穏な部分が素敵だった。幻想的でグロテスクで不気味で重苦しくてドンピシャだった。読んだ内容どころか本の存在自体を何度も忘れて、また出会ってを繰り返して、出来ることなら何度も初読に戻りたいと思ってしまう。カラスの親指の前にもう1冊読んだ、道尾秀介の代表作らしい「向日葵の咲かない夏」はめっちゃ良かった。流石だ〜ってなった。秀逸だった。好みだったし、圧倒的だった。突き詰めてってる感じがとても良かった。いわゆる叙述トリックが使われていて、でもまあそれはなんとなく違和感があって察してる部分もあって、それなのに最後の最後まで驚き、そのうえでずっと狂気。ラスト1ページまで続く狂気。気が抜けない。狂気に棲みつかれた男の子。不穏どころの騒ぎではなく、例えば鬼の跫音に登場する人間でなくなってしまった者達、人の形を保っているだけの鬼とか、そういう類のものだろうと思う。歪んでしまっているというか、歪まないように自ら世界を閉じてしまっていて、その中で蠢いている狂気の塊、ってイメージもありつつだった。もちろん「歪まないように自ら」ってとこもすごく重要で、狂った人間に育てられた少年というより狂った人間の元で育つしかなかった少年という感じで、親がそうなった理由もそうだし、ものすごく無常というかなんというか虚しさがこみ上げてしまった。あの狂った家庭とも呼べないような家で育った男の子がこうなったのだと思うと、どうしても酷すぎるとか理解出来ない信じられないと少年を糾弾することは出来ないなあという感じです。全てが鬱だし重い。間違っても清々しさなど求めて読んではいけない、そういう話だった。読み終わって読書メーター流し見してたときかな、何かで偶然見てヘェと思ったんだけど、石橋容疑者が逮捕時にこの本を所持してたらしい。なるほどって感じ。生まれ変わりたかったのか生まれ変わろうと思ってたのかは知らないけど、へぇ〜って感じだった。重松清の疾走がすごい好きで最高だったんだけど、「向日葵の咲かない夏」はあれ以来の圧倒的な読み応えだった。櫛木理宇の世界が赫に染まる日に、これも装丁が最高で好きだったんだけど、こうして好きだった本を並べていくと私はたぶん少年たちがなんかする本が好きなんだろうなあって思った。本を買うときの参考にしようと思う。少年たちがなんかする話。疲れたので終わります。今日はここ最近読んだ本の話をダイジェストでおおくりしたけど次回から1冊ごとにちゃんと考察とかしてみたりして書けたらいいなと思います。気が向いたらね。それではカレーつくってきます。ピーマン入れよう。